最後に中西派真髄の形とされている五行の形です。これは中西忠兵衛子正が考案したものとのことですので小野派には伝わっておらず中西派独特の形です。時代は組太刀が完成されてから約百年後の西暦一八〇〇年ごろになります。
五行の形の詳細な説明は、弘正先生の『兵法一刀流』に委ねるとして、基本的なことを調べてみます。
まず一般的にWikipediaで調べてみると、下の説明が出てきます。
◎東京高師五行之形
「東京高師五行之形とは、一九〇八年(明治四一年)に東京高等師範学校の撃剣部(剣道部)に赴任した高野佐三郎が制定した剣道の形。太刀五本、小太刀三本からなる。
江戸時代後期、中西派一刀流の第四代・中西子正が「五行之形」という形を考案し、同流で修練されていた。これを同流出身の高野が、学生の指導に適した形に改良したものである。
現在は東京高等師範学校の後身である筑波大学の体育専門学群の剣道教師たちによって伝承されている」
ここでいう中西子正とは、中西忠兵衛子正のことで、中西派の形として考案された「五行之形」を高野佐三郎が改良し小太刀三本を追加したものが「東京高師五行之形」となっているようです。 従って、「中西派五行之形」と「東京高師五行之形」とはいわば兄弟形(刃引き向け、木刀向け)のようなものでしょう。
つまり、「東京高師五行之形」には小太刀五行がありますが、「中西派五行之形」には小太刀五行はありません。
太刀の形内容も若干異なっております。
従って五行の形演武の場合は、どの五行の形を打つかを明示しないといけないというわけです。 神奈川県剣道祭で打った形は、小太刀のない約二百年前の江戸時代から伝わっているその当時中西忠兵衛子正が考案したその通りの「中西派五行之形」です。
「東京高師五行之形」を、滝澤光三先生とも何度か立ち会われたことのある中心会鈴木幾雄範士が演武されたことがありますが、演武の前に高野佐三郎先生に演武指導を受けに来られ佐藤卯吉範士と高野弘正先生の指導のもと、解説書にもまとめられているようです。
その鈴木幾雄先生の五行之形解説書一一二頁では、次のように書かれています。
「五行の形といえば、前号までの太刀の形五本を表しているものである。この小太刀の形(三本)は高野佐三郎範士が東京高師へこられて、だいぶたってから考案されたもののようである。また、故佐藤卯吉範士もそのように話されていて、高野先生としてはあまり満足した形ではないようであるとのお話であった。 その証拠には私より先輩は、この小太刀を教えられていない。
私も昭和二年から六年卒業の四年間にも教えられた記憶がないように思われる。話によると昭和七年ごろから剣道科の生徒に教え始めたもののようである。
高野先生は、その間にいろいろ考えられ、創案されたもので日本剣道形小太刀を説明される時に、これらの技を用いて説明されていたのを記憶している。私は卒業後東京府立五中に在職していたので、母校にて教えられ、記憶しているものである。」
中西派四代目の中西忠(ちゅう)兵衛子(べえつぐ)正(まさ)が考案した五行之形を改良し、追加した小太刀之形には高野佐三郎はあまり満足していなかったために、あえて中西派の形群の中には組み入れなかったのではないでしょうか。 その意思をくんで高野弘正先生も弟子たちに残しておらず名著『兵法一刀流』にも書かれなかったのではないかと推測します。
ただ、中西派には太刀vs小太刀(五本)、小太刀vs小太刀の合小太刀(六本)の小太刀を使った形は計十一本ありますので五行の小太刀こそありませんが、小太刀の技は十二分に学べます。
また、警察OBの先生方の中には、小太刀五行をご存知で、稽古された方もいらっしゃいますので、警察では、修道学院の流れではなく、東京高師からの流れの形を稽古されたのではないかと思われます。
五行の形は、中西派の形全てを稽古しつくしたあとの集大成の形であると位置づけられています。そのため、動きが他の形と比べて非常にゆっくりとしています。演武する前に諸先輩方からの注意事項で、「とにかく観客が眠ってしまうようにゆっくりと丸く大きく打ちなさい」と指導されました。
大きく丸く打つのはほかの形にも当てはまります。竹刀剣道で押し切りの癖がついてしまっているとこの「大きく丸く」ができません。さらに、「ゆっくり」が加わるともうどうにもできないのです。最初は、前後の歩き方だけで足腰の負担がかなりのものとなってきます。ゆっくりの動作には当然、片足に全体重をかけている時間が長くなるわけです。さらにその状態を保ちつつ重心移動を止めずに右足左足と交互に出してゆかねばなりません。また、二歩目では相手を攻めるという行為も込めねばなりませんからこのゆっくりと動くことは至難の業です。竹刀稽古で左足に乗り切って打てるということがこれにより可能となります。
また、中西派五行の形では、刃と刃を打合せる場面が少し出てきますが、実際には刃と刃をガチンと打合せるようなことはしません。木刀ではよいのですが、刃引きの場合は、刃と刃が接するその瞬間、手首を返して刃から鎬へと接触面を変化させます。この技術は大変高度で組太刀の中でも「折身」「裏切」などで見られますが、基本的には打太刀の切り込む刃を、折れやすい鎬で受け止めるのではなく刃こぼれは覚悟で折れにくい刃の方向で受け止めます。しかし、受け止める瞬間手首を返し、接触の衝撃を刃から鎬へ移動させることで刃こぼれを最小限に食い止めようとする技術です。
この刀を折れから守る考えは、現代では「木刀による基本稽古法」の打ち落とし技に生きています。制定当初は打ち落とす際に刃を横にして鎬で打ち落とす案があったそうですが、これだと刀の場合は折れてしまう。そのために、刃こぼれ覚悟で折れにくい刃筋の方向で打ち落とすことに決まったということを社会体育指導員講習会で制定に携わった先生から直接教わりました。こういったところにも表れておりますが、中西派の場合はさらに、手首を返すことで刃こぼれをも最小限にしようとする工夫がなされております。
ここは口伝ですのでもちろん『兵法一刀流』には書かれておりません。
五行にはこういった中西派最高度の技術がちりばめられています。
と書くと五行はいつまでたっても稽古できないことになります。
思斉館先代館長の滝澤光三先生は生前一九八三年二月三日から十三日までヨーロッパ合宿(フランス、オランダ、ベルギー)に門下生数名を引き連れて行かれたことがあるそうです。その際に、門下生に五行、五点を外国人の初心者に教えるように指導されました。光三先生のお考えは、「中西派最高の技を常に稽古せずして宝の持ち腐れになってはいけない。最高の形であるからこそ皆さんは初心から始めるべきです。」ということであったとその当時一緒に同行された先輩から伺ったことがあります。
いろんな考え方があるかと思いますが、光三先生のこの柔軟なお考えこそ工夫に工夫を重ねて考案された先人の思いを受け継ぐものではないかと思います。
五行は、これまでの形に比べはるかにゆっくり丸く大きくメリハリをつけて演武します。この五行というのは陰陽五行説で、この説は大変難しくいろいろ誤解されている方もおられるようではと仰っているのは故井上義彦先生でした。先生から頂いた著書『日本剣道形の一考察』や『副読本』から抜粋させていただきます。一刀流中西派五行の形を稽古しようとする人はまずここから入られることが大切ではないかと思います。
ちなみに、井上先生は日本剣道形の四、五、六本目をこの陰陽五行説で解説されており私はこの井上先生の解説を“本物”として理解するようにしております。
一、陰陽二元論の変化によって宇宙の万象を説明する陰陽説
二、万物を支配する活力を「木火土金水」と考えその盛衰で宇宙の変転を説く五行説
この二つが合体した「陰陽五行説」があります。
この陰陽五行説も
① 陰陽五行相剋説
② 陰陽五行相生説
③ 陰陽五行土王説
④ 陰陽五行説によらない陰陽という考え
があり、昔の流派によってはそれぞれの説を自流派の考えの基において説明しているのでその流派の考えをちゃんと理解したうえで構などを見ないと何が何かわからなくなり、挙句の果てにはそんなことどちらでもいいとその精神性を放棄してしまうようになったりすると井上先生は仰っています。
以上を考慮して我が五行の形をみると、弘正先生は一刀流を研究するにはどうしても孔子の哲理を調べ、天地運航の道理を把握することが必要となる、つまり四書五経の中の易経が大切になると仰っています。五行には相生と相剋があり、そして一刀流の内容には天地人陰陽が全部含まれている。また、天地人三才思想というものもあり、これが一刀流の根幹をなしている。
先生は具体的な構を以て表現すれば、天は上段、地は下段、人は中段、五行を構で表現すると、木は陰、火は上段、土は中段、金は脇、水は下段となります。この天地人三才と陰陽が剣の運行の基礎であり「五行の形」は天地人陰陽の天地の運行を即剣法の運行にかたどって案出したものであると説明されています。
拙著「一刀流中西派 消えた宗家の謎」より
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